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知的メガネを掛けて哲学を語ろう!#4【アリストテレス】

こんにちは。

メガネを掛けて哲学を語ろう、と提案しているこちらのメガネ×哲学シリーズも4回目を迎えました。

今回は、プラトンの弟子である哲学者、アリストテレスについて書いてみたいと思います。

まず、アリストテレスその人に着目してみたいのですが、彼は万学の父といわれるほどに多くの知識を持っている博学の人でした。

それは彼の著作をみるだけでもうかがうことができます。
『ニコマコス倫理学』、『形而上学』、『論理学』、『動物誌』など、哲学の著作だけでなく、論理学や生物学、植物学などの著作も残しています。

彼は詳細に事物を記述しようと努めた哲学者であり、例えばウニに独特の口器を英語では「アリストテレスの提灯」とよんでいますが、このことはウニについての詳細な記述を著作『動物誌』第四巻の中で行っていることに依ります。

ウニの口器”Aristotle’s Lantern”

画像引用元(Flickr

あらゆる物事を詳細に観察し、そして記述、分類しただけでなく、なによりもどんな事にたいしても興味をもってそれを知っていこうとするアリストテレスは後に「万学の父」とよばれるようになります。

師への意見

こうした自然や生物と言った目に見える事物への興味が深かったアリストテレスは、数学的なものに対してとりわけ興味の深かったプラトンとは明らかに隔たりがありました。

そして、プラトンが考えたイデアに関して、アリストテレスは考えていました。

「この世界とは別にイデアの世界があるようだけど、一体この二つはどのようにつながっているのだろうか?」

確かにこの意見に関し、プラトンははっきりと述べているわけではありません。
プラトンの著作、『国家』の最後の部分では今まで述べてきたイデアについての考えを裏付けるために次のギリシャの神話がひきだされます。

死後の世界がどうなっているのかを人々に知らせるために神は、わざと少年を意識不明の状態にして彼の魂をあの世におくりました。
彼はそこで死んだ後の人間がどうなっているのかを間近でみることとなります。
死後の魂は天国のようなところに行き、ある魂は地獄のようなところにいかされます。
長い時間をへたのち、私たちはみなイデアの世界に行きますが、ある日神がそうした魂を再び人間や動物のなかに送り込むのです。

このようにプラトンの著作では彼自身の考えが神話によって裏付けられていることが多いのです。

自然哲学への回帰

哲学はもともと火や土といった自然の中で目に見えるもので世界の始原を説明しようとする学問であったことは以前お話ししました。
プラトンになって変わってしまった流れをアリストテレスは修正しようとします。

プラトンは存在している物体・物質(これを「質料」と言います。)とその物体を存在たらしめているもの(これを「形相」といいます。)との結びつきを偶然的なものであると考えていました。

アリストテレスはこの二つの間にはつながりがなければならないはずだと考えました。
物には全て素材があり、その素材にはその物となる可能性が秘めているのだと考えました。

ある樫の材木が机としてぴったりの素材である時、樫の木を「可能態」、それによってできた机を「現実態」ということで「質料」と「形相」という関係を捉え直したのです。

樫の木(樫の種を可能態とするとこの樫の木は現実態ともいうことができる)

画像引用元(Flickr

不動の動という神へ

こうして、アリストテレスは考えます。
全ての存在者は可能態から現実態へと向かう運動のうちにある、従ってそうした存在者は目的論的な運動のうちにある、と。
さらにアリストテレスは、こうした全ての目的論的な運動の究極目標として「或るもの」を考えなければならないと考えます。

私たちの世界にある存在者はすべて運動を行っている。
そしてそうした運動にははじまりもなければ終わりもないのです。
始まりがあるとすると、最初の運動以前に何らかの変化があることになってしまい、終わりがあるとすると、最後の運動以後になお何らかの転化があることになってしまうからです。

アリストテレスは従って、それ自体は動かない或るもの、動かされないけれど他のものを動かす或るものがあると述べます。
この永遠的なものをアリストテレスは「不動の動」と呼びます。

アリストテレス

アリストテレス

「形而上学」(Metaphysic)の誕生

アリストテレスの考えは主に彼の講義を弟子が書き写したことによって残され、伝えられています。
彼はその講義の中で生物学や論理学など様々な知を生徒に授けました。
先ほどのプラトンに対する意見の修正に関しても講義が行われ、それはロドスのアンドロニコスという人によって『自然学』というノートの後に配列されることとなりました。
そのためそれは「自然(ギリシャ語で「フュシス」)の後(「メタ」)の書」と呼ばれるようになりました。

これが古代末期にまで来ると「自然(フュシス)を超えた(メタ)存在者についての学」として「超自然学=形而上学」(メタフュシカ)とよばれるようになりました。
これが現代では形而上学をmetaphysicとよぶ由縁になったのです。

アリストテレス哲学のその後

アリストテレス哲学はその後、イスラムの地で独自の発展を遂げることになりました。
529年、ユスティニアヌスにより、哲学禁止令が出たことで、アリストテレス研究の本場がイスラムの地に移ったからなのです。
12世紀から始まる十字軍遠征により、アリストテレス哲学は再びヨーロッパへと逆輸入されることになり、近代ヨーロッパ文化の基礎を築くことになりました。