(photo:Some rights reserved by Pingu1963)
JILL STUART(ジルスチュアート)といえば、女性の「可愛らしい物への永遠の憧れ」の部分を突いてくる、フェミニンなデザインで世の女性たちを魅了しているブランド。
そんな女性たちの心を掴んで離さない、JILL STUART(ジルスチュアート)のデザイナーとはいったいどんな人物だったのでしょうか?今回はそれをご紹介します!
デザイナーの両親と、ニューヨーク7番街
JILL STUART(ジルスチュアート)の創業者、ジル・スチュアートの両親もまたデザイナーであり、60年代に大ヒットした女性用パンツ「MISTER PANTS」の創業者でした。デザイナーである両親の元、ジルはファッションの街・ニューヨーク7番街で育ちます。ファンションの街とデザイナーの両親という存在が、ジルの成長にどんな影響を及ぼしたのか、想像に難くありません。
マンハッタン・ダルトン・スクールに在籍していたジルは、初めてのコレクションを開きます。この時、僅か15歳。そして、このジュエリーとバッグの初コレクションが、ニューヨークの大手百貨店、ブルーミングデ―ルズの目に留まることになったというのですから、驚きです。
(photo:Some rights reserved by Kyle McCluer)
その後もファッションデザインを学んだジルは、ファッションレザーのカジュアルウエアブランドを、現在の夫、ロン・カーティスとスタートさせます。ロンの両親もまたジルと同じく、40年以上に渡りユニフォームメーカーを経営していた人物だったのでした。
1995年、ジルはアリシア・シルバーストーン主演の映画「クルーレス」で、リュックサックを用いたスクールガールのファッションスタイルを提案して大きな話題を呼び、同年の春夏コレクションでは、フラワープリントのドレスやセパレートを発表。これらは後のJILL STUART(ジルスチュアート)の代表アイテムとなっていきます。
当時、ジルのコレクションを扱っていた「AnnettB showroom」では、商品がすぐに売り切れの状態になり、「バーニーズ ニューヨーク(Barney'sNY)」のためにデザインしたスウェードのスリップドレスは父の日のネクタイが売れるよりも早く売り切れてしまうという現象を引き起こし、ジルは新進デザイナーとして注目されていきました。
「CUTE・PRETTY・SEXY」
(PHOTO:JILL STUART(ジルスチュアート)公式サイト)
こちらはジル・スチュアートがインタビューで語った言葉です。
「女性はガーリィなもの、楽なものを身につけるべきで、貯金箱を壊さなくても買える服が必要。」「私はセクシーでひらひらした服が好き、それは新鮮であると同時に、どこか古きよき時代を感じさせるデザインでなければいけない。嫌いなのは、雑誌に出てくるみたいに、ひとつのデザイナーで頭の先からつま先まで固めること。そんな人は恐ろしいクローゼットを持っているに違いないわ」
(引用元:VOGUE・ジル・スチュアートインタビュー)
その後、ジルはそれぞれのコレクションで「JILL STUART(ジルスチュアート)」のテーマである「可愛い女の子らしさ」=「CUTE・PRETTY・SEXY」を打ち出していき、Pretty Girl = JILL STUART(ジルスチュアート)コレクションというイメージを確立していくことになります。
そして1997年春コレクションより、日本でも本格的にブランドビジネスの展開を開始、昨年2012年に日本上陸15年を迎えました。その時のインタビューがこちらです!
女の子らしく、可愛らしく、セクシーに。JILL STUART(ジルスチュアート)のブランドコンセプトは、アイウェアラインにもそのまま引き継がれています。
ぜひ、JILL STUART(ジルスチュアート)のメガネをお手に取って、その可愛らしいデザインに触れてみてくださいね!