メガネとテツガク知っておきたい教養話1

デカルト
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メガネとマトリックスとデカルト

大学1年生の時、僕は初めて「マトリックス」という映画を見ました。99年のアメリカ映画で弾丸をよけようと主人公が体を大きくそりかえるシーンが有名ですね。
実際の映画はもっと哲学的な内容が含まれているとてもアイデアが練られた映画だと思います。

マトリックス

マトリックス

引用元(Flickr Website

特に多くの人にとって斬新なアイデアだと思われるのは、主人公が現実だと思われている世界から抜け出るために赤い薬を飲んだ後、全く別の世界を垣間見られたというものではないでしょうか。僕達が信じている現実世界というものが根本から崩れ去ってしまう構想がこの映画の引きつけるアイデアではないかと思います。

しかし、僕たちが見ている世界は嘘で本当の世界は全く違うのではないか、というこの映画のベースとなるアイデアは実は新しいものではありません。むしろこの二つの世界をどう扱うかを巡り大雑把にいえば実際の経験を重視するイギリス経験主義者、経験よりもむしろ人間の理性を重視してきたヨーロッパ大陸の合理論者達の間で対立や立場の違いがあったことは哲学史上では有名な話です。
前者の代表としてはロックやヒューム、後者の代表としては時代は前後しますがフランスの哲学者デカルトやドイツ哲学者カントがいます。

デカルトの思想

今日はこの中でもデカルトの思想を紹介しようと思います。
ルネ・デカルト(1596年~1650年)は17世紀のフランス哲学者で徹底した合理的な考えを導入し、今までの宗教的な影響を排除しようと努めたため合理論者として近代哲学の祖と言われています。(先ほどあげたカントは近代哲学の完成者と言われています。)

デカルト

デカルト

画像引用元(Wikipedia

デカルトは絶対に「これは真である」といえるものとは何なのか、考え続けた哲学者です。
そこでデカルトはあらゆる疑い得るものを偽として斥けていき、最後に確実なものとしてどんなものが残るかみていこうという方法を取ることになります。

感覚の欺き

まずデカルトが白羽の矢を立てたのは、私たちの感覚です。
実際には大きいはずの太陽が僕らの目には本当に小さく見えていたり、遠くに見える4本の柱が実は3本しかなかったという感覚にまつわる事例はいくつもありますよね。デカルトはこうした感覚の「欺き」を指摘し、感覚によって捉えられるものや私たちの感覚は一旦ないものとします。

現実と夢を区別できる証拠はない

そしてここからがマトリックスとつながるところなのですが、デカルトは夢の世界を持ち出してきます。
デカルトは洋服を着て暖炉の前に座っている夢を見た後、実は洋服を着ておらずベッドの中に一人眠っていた自分に気づきます。
夢の中ではあれほど確からしいことだったのに、というデカルトの錯覚から、彼は起きているときと夢を見ているときとを区別できる確かな印はまったくない、ということを導き出します。

ダリ

画像引用元(Flickr Website

この時点でデカルトはマトリックスの映画で言えば赤い薬をのみこんだといえるでしょう。
デカルトが目指したのはどちらの世界にも共通して真と言えるのは何だろうか、ということです。というのも僕らが衝撃とともに受け入れなければならない映画の中での真実の世界もまた実は夢の世界なのかもしれないからです。

それではマトリックスの世界にまで挑戦するデカルトは一体どんなことを見つけ出すのでしょうか。
次回は有名なデカルトの命題「我思う、ゆえにわれあり」の話に進みたいと思います。

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