さてさておなじみのRay-Ban(レイバン)シリーズも記念すべき第10回目になりました。いつもありがとうございます。
記念すべき10回目ではRay-Ban(レイバン)という世界最高のサングラスのブランドを築き上げた企業であるボシュロム社について記事にしました。
前回までの記事は下記のリンクから読むことが出来ますので、是非ご覧ください。
- 第1回:Ray-Ban / レイバン#1 – はじまりについて
- 第2回:Ray-Ban / レイバン#2 – トップブランドへの道のり
- 第3回:Ray-Ban / レイバン#3 – 不朽の名作ウェイファーラー
- 第4回:Ray-Ban / レイバン#4 – 空飛ぶ男がかけるアビエイターとは?
- 第5回:Ray-Ban / レイバン#5 – 5つの絶対偽物を買わないための注意点
- 第6回:Ray-Ban / レイバン#6 – 長瀬智也や中田英寿(Hidetoshi Nakata)も愛用するオリンピアン
- 第7回:Ray-Ban / レイバン#7 – Ray-Ban(レイバン)を買収したルックスオティカを解明する
- 第8回:Ray-Ban / レイバン#8 女性の魅力を引き立てるJackie Ohhとは?
- 第9回:Ray-Ban / レイバン#9 – クラシックとモダンさを感じさせるクラブマスターを追求する
現在Ray-Ban(レイバン)のブランドは、世界最大のアイウェアメーカーであるイタリアのルックスオティカ社のものになっています。
しかし、Ray-Ban(レイバン)の歴史を遡ると、Ray-Ban(レイバン)はボシュロム社というアメリカのレンズメーカーが元々は築いたブランドなのです。
ボシュロム社について今回は紹介したいと思います!
画像引用元 (ボッシュロムウェブサイト)
ボシュロム社の歴史
ボシュロムの創業期
「ボシュロム」というは名前は、二人のファミリーネーム、ジョン・ジェイコブ・ボシュとヘンリー・ロムから由来しています。
ドイツ生まれの二人がアメリカで出会った事がボシュロム150年の始まりです。
ボシュはドイツに生まれ、スイスで眼鏡店で眼鏡技師として働いた後、1849年にアメリカで腕を試すことを決意し、19歳で渡米します。
同じくドイツ生まれで2つ年上のH.ロムがアメリカへ渡ったのも1849年でした。
ボシュはドイツから最先端の眼鏡器具を輸入しビジネスを行いましたが、ビジネスは上手く展開できませんでした。
この時、ロムがボシュにお金を投資し、援助をしていたのです。
ボシュは事業をここで再度考え直しました。
あるときにボシュはゴム片を道端で見つけ、ゴム片からヒントを得ました。
ボシュはゴムがメガネフレームに変わる最適な材料だと考え開発実験を行いました。
薄い硬質ゴムシートからフレームを打ち抜く手動パンチプレスを開発し、新しいメガネフレームの大量生産の方法を生み出します。
この手法を生むまで、ロムは60ドルを投資して以来、ずっと事業の存続の為に、お金を支援し続けました。
そして、1863年、共同経営者としてロムを迎え入れ、正式に Bausch & Lomb Optical Company(ボシュロム)が設立されました。
そして、硬質ゴム製フレームの眼鏡は順調に売上を伸ばしていきました。
1866年になると、硬質ゴムの製造元であるアメリカン・ラバー社と提携を行い、アメリカの中心であるニューヨーク市に営業所を開設しました。
そしてロムはN.Y.で経営に専念し、ボシュはロチェスターで研究開発にフォーカスするという二人の共同経営のスタイルとられました。
生み出された収益が、ボシュロム社の実験と研究を支え、さまざまな新開発技術を生み出していきました。
1874年には事業を拡張します。
フレームからレンズへの転換
画像引用元 (Flickr)
J.J.ボシュの息子エドワードは、14歳で簡単な顕微鏡を作ったと言われています。
エドワードはコーネル大学で工学を専攻後、事業に参加し顕微鏡ラインの開発に携わりました。
1876年のフィラデルフィア万国博覧会にボシュロム製品として顕微鏡を出展しました。
そして万博で、ボシュロムの顕微鏡は大変な知名度を獲得しました。
その後、1880年代には、製造ラインに写真用レンズを加えます。エドワードは、この分野でも才能を発揮し、新しい技術を開発していきます。
例として「レンズ間アイリス型ダイヤフラムシャッター」といった当時最先端の技術をいち早く開発を行ったりしました。
世界では写真のニーズが高まり、さらにその写真を大きなスクリーンに映し出したい、というニーズも高まりました。
これに合わせてボシュロムはBalopticonというスライド映写機を開発し、静止画像の映写分野に参入します。
戦争時代を背景にボシュロムが飛躍を遂げる時代
画像引用元 (Flickr)
1900年代の前半では、J.J.ボシュとH.ロムから、エドワードへとウィリアムへの交代期であり、世界中で戦争がで行われていた時代でもあります。
そしてウィリアムが高品質の光学ガラスの製造に成功したのです。
当時アメリカ国内で生産ができず、ヨーロッパから輸入していた光学ガラスを高い品質で生産できるようになったのです。
双眼鏡や望遠鏡といった精密な測定を可能にする光学機器がアメリカ海軍に必要になり、ボシュロム社がそれを提供をしたのです。
また、アメリカ空軍の為に、ボシュロム社は航空機に搭載する航空カメラレンズ高性能な光学機器を製造をしました。
そして、1926年では、あの有名なRay-Ban(レイバン)サングラスが開発されたのです。
映画界でも成功を収めるボシュロム社
画像引用元 (Flickr)
さらにボシュロムでは1915年より映画撮影用のカメラレンズを製造しました。
そして、1922年に出された「Super Cinephor映写レンズ」は、映画界で広く普及をしました。
さらに1950年代はアメリカの映画業界ではステレオサウンドや3Dなど次々と最新技術を導入していました。
その1つであるワイドスクリーン効果を可能にしたのが、シネマスコープレンズです!
シネマスコープレンズはアメリカの映画会社に次々と採用されました。
様々な技術提供が、功を奏し、1955年、ボシュロムは全米映画協会からアカデミー賞 オスカー技術賞を授与されたのです!
ボシュロム社にはまだまだここでは述べ切れないほどのエピソードあります。ぜひよければチェックして見て下さい!
なお、ボシュロム社は現在、レイバンといった事業を売却してからはソフトレンズといったアイケアー事業において活躍を果たしています。
参考サイト
http://www.bausch.co.jp/
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