メガネ通販 Oh My Glasses × 株式会社アトリエサンク代表取締役外山雄一氏インタビュー#1

メガネ通販 Oh My Glassesインターンの山田です。

今回は株式会社アトリエサンク代表取締役 外山雄一氏にインタビューをしてきました。外山氏はUSH(アッシュ)、Seacret Remedy(シークレットレメディ)、Marquistarr(マーキスター)など人気ブランドのディレクションをしている世界で活躍するアイウェアデザイナーです。

外山雄一氏について

93年に福井のメガネメーカーにデザイナーとして入社、04年に独立。現在も有名ファッションブランドのアイウェアデザインやコンサルティングを行う。09年 に「アッシュ」を創設する。
ブランド名の由来は、「本質」を意味する「アンダー・スピリチュアル・ホーン」なる造語の頭文字からとったもの。
東洋人の骨格 に合ったサイジングによるデザインバランスと日本の伝統技術にこだわったもの作りを重視しており、「日本発のハイスタンダード・アイウェア」をコンセプト に、ウェリントンをはじめとするオーセンティックなスタイルを独自の解釈でモードに昇華させたデザインが特徴。
アッシュやMarquistartt(マーキスター)の他に、Seacret Remedy(シークレットレメディ)などの有名ブランドも手がける。

外山氏のプロデュースする「USH/アッシュ」はモデルで女優である佐々木希さんが、Web-CMで利用していたりします。

そんな外山氏が普段勤務されているのが、渋谷区文化総合センター大和田の中にある文化ファッションインキュベーション施設で、こちらで今回はインタビューをさせていただきました。

画像引用元 (渋谷文化総合センター大和田ウェブサイト

インキュベーション施設の中はこんな感じでした。

では、外山氏へのインタビューに入ります。

山田

外山さんがメガネデザイナーをはじめたきっかけを教えて下さい

外山氏

25年程前はメガネをかけているのはダサイという時代で、その後僕が中学生くらいの時に、第一次伊達メガネブームというのがきました。その少し前の時期に陸(オカ)サーファーというのがいましたが、山田君の世代だと丘サーファーなんて知らないですよね。(笑)

その伊達メガネブームの時に白山眼鏡やアランミクリとかがすごい人気でカッコいいなと思ったんですよね。本当にメガネがかっこいいと思い伊達メガネではなく本物のメガネを掛けたいと思いました。だから目が悪くないのに、渋谷の道玄坂にあるメガネ屋で目が悪いといって、無理矢理メガネを作って貰ったほどです。
そして、その時にメガネを改造して遊んだりして、メガネをいじる楽しさを知りました。

そんな第一次伊達メガネブームが終わったら、メガネの市民権は再びなくなり、メガネはダサイと思われる時代がきました。

その後、デザイン学校に通い始めて、学校帰りに代官山、表参道、原宿とかをよく回ったんですけど、最後には必ずメガネショップに行ってました。それから就職活動の時期になって、なんのデザインをしようかなと迷っていたんですが、ふと俺メガネ好きじゃんって思ったんですよね。それで、モノ系雑誌を見て、色んな会社に電話をかけまくりました。その中で唯一面接をしてくれたのが、福井の眼鏡販売会社でした。面接もトントン拍子に進み、すぐに内定をもらうことができ、その会社にデザイナーとして入社することにしました。就職活動を始めたのが一番遅かったのに、2番目に早く決まりました。

*陸サーファーとは、陸サーファーとは字の通り、陸にいるサーファーということで、サーフボードを担いで浜を歩いているが、実際海に入ったり、波に乗ったりはしない人を指します。

山田

ありがとうございます。中学生時代から眼鏡を触っていたとはさすがですね。笑
福井の眼鏡販売会社に入り、その後に外山さんが独立して自分のブランドを立ち上げた経緯を教えて下さい。

外山氏

元々、小さくても良かったので、自分のブランドを持ちたいとは思っていました。話を戻しますと、福井のメガネ販売会社では本当に色んな事を学びました。

メガネの生産の現場である福井県の鯖江に実際に何回も行かせてもらって、生産現場がどのようになっているかを学びました。あとその会社はビックメゾンブランドからモードブランド等を持っていて、非常にデザイン力の高さがある企業だったので、要求されるデザインのレベルも高く、デザイン力を身に付きました。そして、退職する数年前からはディレクション業務を任されるようになり、客観的に人と自分のデザインを見る必要になったので、フラットにデザインを見る事が出来るようになりました。

それから福井の眼鏡販売会社での12年間を終え、フリーデザイナーをやっていました。退職する前の数年間で得た経験を活かし、フリーランスとしての多くのデザイン業務へ結び付けることができました。そして、大企業、フリーを経て、時期がきたと思い、自分の経験を反映させたオリジナルブランドを世の中に出したいと思いました。
人生やりたい事が沢山ありますが、時間が限られていますしね。

今回の外山さんとの対談は内容の濃いものでした。2回に分けてお送りしたいと思います。

続く

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